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人生の方向性 刹那主義との折り合い

最近人生の方向性がわからなくなってきている。

自分は20代後半の独身男性会社員だ。彼女はいない。

とりあえず今食うのに困っていたりしないし、趣味を楽しむ金銭的余裕もある。

最近までは会社の長時間労働と無駄にひどいプレッシャーにより趣味と睡眠の時間が削られていたが、最近部署移動があって緩和されつつある。

しかし、自分が何をしたいのかわからなくなってきた。

たまにそういうことがある。

主に普段やっていることにマンネリ感を感じてきたのもあるかもしれない。

自分は比較的多趣味だと思っているが、最近はそのルーチン化されたものの中でしか行動していない気がする。ジム行って、ゲームして、カフェで本読んで、サバゲー行って、性欲処理して。

元々比較的多趣味なのも、自分に満足させてくれる楽しいことを追い続けた結果なのだ。

結婚している男性や彼女がいる男性は、こういうのをあまり感じないのではないかと思う。配偶者や子供を幸せにするという、簡単ではないが明確な方向性があるからだ。

一方自分にはそれがない。独身であることは自由だとよく言われるが、方向性を見失った自由とはただの迷子だ。

自分探しの旅をするべきか、というのもあるが、会社に所属して2年が経過し、自分探しは完了している。現実的かは差し置いて、自分の原始的な方向性はわかっている。働かずに、何も強制されずに生きていきたいのだ。しかしこれはあまりにも現実性がなく、具体性もない。どうすればそうなれるのかを具体的に計画が見つからない。だからこれは除外している。

この虚無感である。

一時期はステーキとか寿司とか美食に費やしてきたが、いよいよそれもルーチン化されつつある。何か新しい世界を探すべきか。そういや馬肉をネットで買って食べてみたいと思っていた。やってみてもいいかもしれない。

しかしそうやって「やってみたかったこと」を片っ端からやっていって、たどり着いたのがここなのだ。まだ「やってみたかったこと」はあるが、あまり残されていない。それをやりつくしてしまった時、自分はどうなるのだろう。

ゲームでもすべての内容をコンプリートしてしまえばだれでも電源を落とすだろう。もう一度最初からやるなり、RTAやるなりするかもしれないが、コンプリートしたデータを続ける人は少ないのではないか。

長期的なやりたいことがない、でも刹那主義的にやりたいことはネタ切れになりつつある。このジレンマ。勿論やりたいことの全てがネタ切れなわけではない。金銭的な制約、時間的な制約による実質的なネタ切れだ。だから会社を一旦辞めて、貯金を削って遊ぶことで金銭的・時間的制約を排除し、やりたいことをする手段もある。しかしそれはあまりにも博打だ。その後は再就職に苦労し、食うに困る生活が待っているかもしれない。

何のかんのいって、食うに困る生活は嫌だ、という長期的なプランを持っている自分が恨めしい。長期的にやりたくないことはあるのだ。

会社に所属することで時間的制約を持ちつつ、できる範囲のことで今の生活を維持することがベターなのかもしれない。一応美味しいもの食べたり、ジムに通えるお金はあるのだから。

しかし、たまに襲ってくるこの唐突な虚無感はいかんともしがたい。

多くの人はどのように折り合いをつけているんだろう。