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飲み会の辛さ ~コミュ症の擬態の限界~

飲み会が辛い。

仲の良い友達同士で飲みに行くのは楽しいけど、主に会社の飲み会とか同期飲みとか、あと5人以上の大きな飲み会や合コンとか、そういうのが辛い。

 

1.会社の飲み会や同期飲みという半強制飲み会が辛い

会社の飲み会とか大学の同期飲みとかにある「俺たち仲良しだよね?!」みたいなものの同調圧力というか、既成事実づくりというか、そういう雰囲気の飲み会が嫌だ。なんか「俺たち仲良しなんだから飲み会来るよね?!」「俺たち仲良しなんだから二次会行くよね?!」みたいなのが辛い。別に仲良しでも他に予定とかあったら飲み会行かないし、眠かったら二次会行かないよ。

物事をするかしないかは優先順位で決まると思うけど、「俺たちは仲良しだから、俺たちの飲み会(二次会)は他のあらゆる予定よりも優先順位が高いんだよな?!」ということなのかもしれない。でも断った時の反応を見る限り、そういう考えすら感じないのも嫌なところだ。断れたことに対して「あいつは俺たちよりも重要な予定があったんだな」というより、「あいつは俺たちと仲良くする気がないんだな」という反応をする。物事をイチゼロで判断する反応だ。例えば飲み会の優先度が60%で、家でゲームしたい優先度が70%だったら、それはゲームを優先する。でも飲み会の優先度は60%もあるのだ。行く気がないわけじゃない。それに対し、断れた側は「飲み会の優先度は0%だったに違いない」というような反応をする。ここは断るときのコミュニケーションの問題もあるけど、正直ゲームの優先度の付け方と、飲み会の優先度の付け方は価値観の相違があるので、どうしようもないところもある。というか多くの人って飲み会の予定の優先度高くね??とりあえず、「飲み会(二次会)断ったからあいつは仲良しになる気がない」みたいな相手の事情を全く考えない人たちの飲み会の誘いがだるい。相手の事情なんて考えない方が楽なんだから、そりゃ考えない人がいるのもわかるのだけど。

こういう時の飲み会で途中に帰る疎外感というか、なんとも言えない社会不適合者の烙印を押さえれたような気分になるのが特に辛くなる。実際そうなのだからそりゃ現実を知れって感じかもしれないけど。みんなどうしてあんなにも飲み会が好きなのだろう。もしかしたら多くの人にとって、飲み会はゲームとかスポーツとか映画とか読書とか芸術鑑賞とかお笑いとか美食とか趣味以上に面白い娯楽なのかもしれない。飲み会だって高いし、それに相応する価値があると感じているはずだ。だとしたらそれを楽しめない自分が損な感性なのかもしれない。感性は人それぞれだ。例えばクラシックのすばらしさを感じる人と、それが全く分からない人がいる。どちらが良いとか悪いとかはないが、少なくとも楽しいと思えることが多いほうが人生得だろう。そうだとすれば増々自分は周りから価値観がずれており、社会不適合性が上がっていることを認めなければいけなくなる。

 

2.5人以上の多人数飲み会が辛い

5人以上の飲み会や合コンとかは、その最中が辛い。どう振舞えばいいのかがよくわからない。

5人以上になると、必ず全員が話題に参加することや発言することができなくなる。そりゃ5人以上が次々に話したら滅茶苦茶だ。だから思うことがあっても、会話の流れに乗れないと発言できない。あれはタイミングよく発言できる人のみが発言できる空間になる。コミュ障には発言のチャンスが掴めなくて辛い。

そして多人数ゆえの共感というか、多数決的同調圧力がある。ある人の発言に対して、全員はある同じ反応をすることが期待される。どんな反応をするべきかは、相手の話し方からわかる。実際みんなはその反応をして、実際そう思っているように見える。自分もそういう反応をするように努める。それでもやっぱり違うと思う時もある。反論したくなる気持ちがあるときがある。誰かの悪口が言われているときなんか特にそうだ。勿論それはただの愚痴で、ガス抜きで、発言者はそれに対して周りから「そうだよね~」という共感をもらってメンタルを回復する、という流れなんだから、そこは共感するべきなんだと思う。でも、あまりにも悪口を言われている側が不憫だったり、フォローされるに値する状況の時は、本当に辛い。同調して悪口を言わなければいけないようなのが辛い。4人以下の少人数の飲み会なら、発言の機会も取りやすいので、共感しつつ相手をフォローするコミュニケーションが取れる。相手の言葉と気持ちに対して一つ一つ、丁寧にキャッチボールできる。でも多人数の飲み会では発言の機会が取りづらく、発言者との直接のキャッチボールが難しくてそんなことはできない。相手の共感を壊してしまい、誰も得しない展開になるか、自分もその悪口に加担するような罪悪感に苛まれるだけだ。

多人数飲み会で話しやすくするように、テーブル内でグループに別れて会話することもある。というか自然にそうなることがある。そうなると少しは話しやすい。でもやっぱり多人数の飲み会では「みんなで一緒に話す」という雰囲気があって、ある程度全体一個の話題に戻ろう動きがある。グループ別での会話がいつも長続きするとは限らない。そして最初はどうしてもグループ別に分かれるまでに時間がかかる。

 

3.まとめ的な

結局自分が飲み会が辛いのは、感性が多数派からずれているからなのかもしれない。不特定多数との飲み会がそんなにも面白いものに感じないし、話題に関して共感できないことも多い。確かに仲の良い、価値観や考え方の近い友達と集まって飲み食いするのは楽しい。大体飲み会が目的ではなく、まず必ず美食や美酒や遊びの帰りの夕飯のついでとかが多いのが実際だが(やはり感性が近いもの同士、飲み会単一そのものに対する価値が低いのかもしれない)。

これから自分がどうして行けばいいのか、を考えるとやっぱり金を払ってまで共感できない話題についていって自分の思った事も言えないような飲み会に参加するのは嫌だ。それで周りから「あいつは周りと仲良くなる気がない」と思われるのも癪だが、それはスポーツとかゲームに誘うとか、飲み会以外の交流をすればいいのかもしれない。でもみんなってそういう交流には参加したがらないんだよなぁ。やっぱり優先順位の付け方が違うのかもしれない。4000円払って席に座ってアルコールとおつまみを適当に飲み食いするより、もう少しお金払っても何かを体験する方がよっぽど楽しいと思うんだけどなぁ。